<Header>
<Author: 李白>
<Title: 江上吟>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 漢文無假名>
<style2: 日本漢文訓讀無假名標注>
<TranslatedTitle: 江上吟>
<BookPage: 83>
<UsedPage: 1>
<Feature: 6>
<End Header>
<Poem>
木蘭之枻沙棠舟，
玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛，
載妓隨波任去留。
仙人有待乘黃鶴，
海客無心隨白鷗。
屈平詞賦懸日月，
楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽，
詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在，
漢水亦應西北流。
<End Poem>
<Translation>
沙棠でつくった舟を木蘭でつくった櫂で漕ぎだした。舟の兩側に竝んでいるのは簫や笛をそなえた女樂の一隊だ。うまい酒は樽につめたやつがずらりと竝んでいる。お酌をするのは美しい藝妓連。もう舟を漕いではいない。波のまにまに流れようと留まろうとほぅってある。半分仙人になったような心地だといいたいが、仙人なんかでもめんどうくさいものだ。ここからあまり遠くないところに有名な黄鶴楼という名所があって、昔、仙人が黄色い鶴に乗って飛び去った舊跡だという話だ。とにかく鶴に乗らないでは飛ぶことができないとは厄介千萬ではないか。それよりも東海のほとりで、 無邪氣な少年が何心なく鷗の群れと遊びたわむれたという話があるが、そのほうがかもめ よっぽどおもしろいね。ごらんよ、あれを。とにかく、おあつらえどおり、あたりには白い鷗がたくさん飛びまわってるよ。さて、ここいらは戦國時代の大國楚の中心地だが、代々の王さまが榮華をきわめた郢の都の宮殿ばどうなった。とりわけ天下無比の豪奢をうたわれた章華臺はどうなった。一切合切、跡方もなくなってしまった。のこっているのは、ただそれがあったらしい場所の山や丘ばかりじゃないか。それにひきかえ、楚の忠臣屈原は讒言により追放され、祖國や王室の運命を憂慮しつつ、離騒を始めとするいわゆる楚辭をあらわして自己の無限のうらみをこめた。ついには祖國が滅亡への途をすすんでゆくのを見るにしのびず、身を投げて死んだ。まことにはかない一生であった。しかし、その魂の結晶ともいうべき作品の楚辭は人々の魂とむすびついて、歴史を越えて生きつづけ、一千年を經過した今日といえども、なお天にかかる日月のように輝きわたっている。 
わが輩は大いに興が乗ってきたので、かねて用意の紙をひろげさせた上に筆を落とすと、筆勢雄渾にして、まさに五嶽をゆり動かす概があるではないか。詩ができたので、これを吟じて哄笑ずれば、仙人が住んでいる滄洲とやらもものの數ではないという気がするぞ。大臣大将となって權勢をふるう、それがなんだ。つかのまの夢のような話じゃないか。富豪だの貴族だのと、まことに結構な御身分だろうが、いったい、昔の金持ちの子孫が今でも金持ちでいるだろうか。昔の王侯の子孫が今はどうなっているだろうか。それどころではない。古來、天下に君臨した皇帝の直系など、みんな跡がたえてしまっているではないか。萬一、功名や富貴がいつまでもつづくものだったら、この滔々として流れている漢水が西北へ向かって逆流することだろうよ。
<End Translation>